• 2012/05/01(火) 19:17:59

日々是好日(90)

ゴールデンウイークはいつごろから始まったのであろうか。戦後に始まったには間違いないが記憶にない。戦前、一部の労働者が5月1日、警官に囲まれながら旗を振って街を練り歩き気勢を挙げていた光景はうすうす覚えている。

  • 2012/04/10(火) 17:06:41

日々是好日(89)

桜が満開。小学校の校門には入学式の看板と日の丸の国旗。80年余前と些かも変わりない光景である。僕も母に伴なわれこの校門をくぐり入学式に臨んだことを思い出した。実に懐かしい。
今は無いが校門の近くに奉安庫(昭和天皇皇后両陛下のお写真と、教育勅語が収められていた)があった。その奉安庫に一礼をして教室に教科書と筆記用具、弁当の入ったカバンや風呂敷を(ランドセルで通学する生徒は、50人クラスで5人程度でだった)を机の中に置いて運動場で朝礼まで遊んだ。当時は入学から卒業まで男女別々の教室で女生徒と一緒に授業をうけた事は一度もなかった。
国語は「読み方」習字は「書き方」数学は「算術」と言っていた。一年生の読み方は「ハナ、ハト、マス、ミノ、カサ、カラカサ、カラスガイマス、スズメガイマス」から始まった。今の一年生はマス、ミノ、カラカサを知っているだろうか。都市に住む一年生は鳩やカラスには見なれているが雀を見たことはあるだろうか。我が家の庭にも10年近く雀は遊びに来なくなった。
3年下の妹の年次から男女共学になり、読み方の始めは「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」に変わったようだ。最近の小学1年生の国語教科書はどのようか興味津々、知りたいものだ。生まれたばかりの曾孫が一年生になるまで生き延びて教科書を見せて貰うことにしよう。

  • 2012/03/16(金) 22:27:51

へなちょこ画帳(19)

義弟より彼が出品しているニ科会展の招待状が郵送されてきたので、久しぶりに愛知美術館に足を運んだ。展示作品は大作ばかりでその数百点を鑑賞すると、流石に疲れた。ゴルフの1ラウンド以上である。会場を出ると休憩室があり倒れるようにソファに腰を下ろした。出品者は時間をかけ渾身の力を注いだ作品であろうが、印象に残る作品は殆どなかった。受賞した作品にすら少しも感動できずだった。              
何故だろうか。[美]に対する感受性が加齢で鈍ったと思いたくはないのだが・・。
義弟の作品は「石の響き」と題する100号(162×130cm)の抽象画で画面の何処からも石や響きのイメージは微塵も浮かんでこない。【石】らしいもの【響きを象徴するもの】が描かれてあれば、具象画になってしまうからであろうか。兎に角、解らない。解ろうとするから疲れたのだ。義弟の作品には【D画廊賞】の紙片が表示されていたから優れた作品なのだと思わなくてはならないのだ。
その夜、義弟に『受賞おめでとう』と電話した。

  • 2012/02/29(水) 09:38:55

日々是好日(88)

  • 2012/02/25(土) 16:15:40

日々是好日(87)

僕は体内時計で起床している。体内時計は日出の時間とは関係なく、年中午前5時前後30分内に起床を促してくれる。だから冬至の頃は、新聞を取りに暗い庭に出ると月が頭上から『お早う』と挨拶をする。夏至の頃は太陽が『お目覚めですか』と元気な声をかけてくれる。朝食前にゴミ出しと一般紙とスポーツ新聞を読み終え、Eメールの受信を確かめから食卓に着く。食事が終り暫くすると午前8時、楽しみにしているテレビ小説(今は「カーネイション」)が始まる。定着した日課のスタートである。
ところが最近、居眠りをしてしばしば「テレビ小説」を見過ごしてしまう。昼食後は昼寝をすることにしているが、朝食後の居眠りは日課にない。体内時計の後続として朝食後の居眠りを日課に加えるべきか目下、迷っている。

  • 2012/01/05(木) 13:39:08

日々是好日(86)

昨年の1年の計は日記を欠かさず書くことと版画を2作品完成することだった。日記を調べてみると13日分が空白になっていた。主に外泊した日の記述がない。常に携帯している手帳に書いて転記をされてなかったものと思う。三日坊主の自分にしてはよく頑張ったものだ。
版画は1年の計に含まない年賀状を除き1作品も完成していない。2年越しの原画があるのだが中断のままになっている。
今年の「1年の計」は昨年同様にして、確実に実行することにする。

  • 2011/12/27(火) 22:22:13

日々是好日(85)

今年もあと数日を残すのみ。乱雑の部屋を片づけようと思い立ったが、どこから手をつけようか暫く思案した。読みかけの本、読んで本棚に戻してない本、求めたままの本があちらこちらに積まれている。分類別に仕分けて整理をしなくてはならない。年賀状の版画作成の絵具、筆、馬連、彫刻刀、用紙などこれも使用したままになっている。十数年グループ展に出品した額入りの版画作品と版木が、部屋のスペースを意外と狭くしている。
整理というものは、思慮を要するものではないものなのに破棄する決断のできない者にとってはいたずらな時間がかかる。懐古趣味の僕の部屋整理は年内には終わらないもののようだ。

  • 2011/11/01(火) 22:56:44

へなちょこ画帳(18)

早くも年賀状作成の季節がやってきた。来年の干支は「辰」である。「辰」は干支のうち唯一実在しない動物で、デザインに苦労することを万々予測して10月に入ると直ちに制作に着手した。
例年通り市立図書館でデザインのヒントとなる参考図書を探した。横山大観の富士山をバックにした昇龍の水墨画が脳裏にあり、大観の画集を何冊も開いたがその絵は見つからなかった。そのほか観光地の龍の細工物の写真や中国の廟の建物に龍の彫刻や絵の関係図書を探したがなにも見つからなかった。パソコンで辰年の年賀状を検索したがイメージにそぐわないものばかりで徒労に終わった。やはり「辰」をデザインするのは難しく、ヒントすら見つからない日が続いた。
龍は架空の生き物なのだから適当に描いて良しとしようと決めた。神社の手水舎(ちょうずや)の水は龍の口から注いでいる。市内の神社4か所を回り金属製龍の蛇口をスケッチした。平和な楽しい年を迎えたいと願うのに怖い顔をした龍をデザインするのに戸惑いを感じながら、そのスケッチをもとに何とかまとめてみた。雲で年号を表すことに苦心して、時間がかかった。色の選択も不本意だったが見切り発車して型紙作成に着手した。本来は木版画にしなくてはならないのだが、木版画は体力と時間がかかるので、合羽版(ステンシル、型紙8枚)で仕上げた。
新年前に披露するのは如何と思われるが、一日も早く版画愛好者の批評を受けたいためである。
【この作品で試みたのは、雲の表現を着色ローラーの表面の異なるものを用いてみた。これからも合羽版の平板さに変化を加えるため新しい表現技法を試みるつもりでいる】IMG_1127.jpg

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  • 2011/10/21(金) 17:47:30

へなちょこ画帳(17)

爽やかな秋の庭で、朝のひと時を草むしりをするのも老いにとっては乙な楽しみである。とりとめない考えや、思い出に浸る時間でもある。庭にはびこる主な雑草は水引草、赤のまんま、つゆ草、ねこじゃらしである。いずれも幼馴染のように無遠慮な親しみがある。いずれも華やかさはないが絵になる草である。工業学校1年生の時、紡織科であったが織物に必須な図案を描かされて僕はつゆ草をモチーフにした。その作品がどのような図柄だったか記憶していないが教師に激賞されたことを記憶している。それ以後、60余年経った10年前版画のグループ展につゆ草をモチーフにした型紙版画を出品した。IMG_0563.jpg

  • 2011/10/07(金) 14:10:03

日々是好日(72)

【iPhone4S】が10月14日に発売されると報道されているが、僕たち高齢者は関心がないわけではないがその多機能を十分使いこなすことができないので傍観せざるを得ない。現在帯同している携帯電話は主に家族や友人との連絡以外に、僕は就寝時に首にかけて時計と懐中電灯代りにしている。写真やメールの発信の機能を使ったことは一度もない。歩数計や眼ざましの機能も備わっているようだが使ったことはない。とにかく四六時中座右に電話器があるのだからこの上なく便利になったものだ。
思い起こせば、60年前結婚した当時、電話を引くには電話公債を買い順番待ちだった。電話が引けないまま単身の台北勤務となった。当時(1953年)の台湾の電話事情は日本より遅れていた。電話器は卓上電話器がなく壁掛けだった。受話器を耳にあてがいレバーをくるくる回すと電話局の交換手が出る『もし、もし』と、声をかけるとガシャリと切られてしまう「喂喂(ウェイ、ウェイ)」と呼びかけると応じてくれる。日本統治の慣習や惰性を断ち切るため、国民党政府の指令だったようだ。通話先の電話番号を中国語で伝えると繋いでくれる。国際電話はいつも2,3時間待たされる。実に不便だった。いまは国外も国内と全く同様、掛けたい先と直接、即通話ができて便利になった。隔世の感著しいものだ。高齢者も現代に生をうけているのだから【iPhone4S】の多機能を使いこなしその便利さを享受すべきかもしれない。